破片を踏んで歩く

今思えば、一度たりとも『全く同じ器』を見たことは無かったなと思う。

感覚的なものに過ぎないけれど、
その大きさや形、装飾、色合い
その人の熱に触れた時に、頭の中で具現化された器は全く違っていた気がする。





私は、どちらかと言えば新しいものよりも変わらずにあるものが好きだ。
新品の洗練された家具が並ぶインテリアショップよりも、街中にひっそりと佇む古道具屋さんが好き。機能性の高い最新の携帯機種にはそこまで関心が無く、極力使い慣れた端末を手放さずに長く使いたいと思う。革新的なエンターテイメントよりも、古き良き伝統を受け継ぐパフォーマンスをするアイドルを愛しがち。新しい環境に身を置くことが苦手で、果たすべき目的が生まれない限りは今置かれた環境で頑張りたいと思う。

そんな保守的な生き方、好み、考え方をしてきた私にとって龍宮城という存在はかなり特異だった。
オルタナティブであらねばと、対外的にも 内側でも常に変わっていく様を1ファンながら感じていた。

真のデビュー曲と言われる『2 MUCH』では「前進」を、それに続く『SHORYU(→↓↘︎+P)』ではその勢いのまま高みへと「上昇」してゆくという表現或いはグループとしてのこれからを宣言をしていたように思う。

前へ上へと進んだその次に来たのは、「深化」だと私は解釈した。
更に奥へ先へと表現の世界の深淵に一層近くへと手を伸ばす、けど沈みはしない 漂いつつ様々なものと巡り合いつつ ただ、大海で波を起こして潜り込む、新しい向き合い方。


そんな新たな変化を生み出す彼ら自身も今までと同じ、なはずも無くて
勿論、春空さんもそう


「上手」の物差しは人それぞれあると思う。どんな状態を素晴らしいと感じるか、どのようなことを評価するのか。

そんな物差しさえも、会う回数を重ねるごとに尺度が合わなくなっていっているような 予想と期待を遥かに上回り、その物差しが使えなくなっていることにいつも驚いて、喜んで、感動している。


我ながら凄く傲慢だと思う
変わらないと生き残れない世界で生きる彼に、
進化してることを褒める、ということを平気でしてしまっている訳だから


でも、その「変わること」がどれだけ貴いことなのか。変わる為にどれだけの積み重ねがあるのか。
それを、この半年ほどの短い間でも理解することが出来た気がするから、彼に向けるできる限りの最大限の賞賛として、その変化を受け止めたいしその過程を含めて愛していきたいと思った。
前から思ってたけど、またいっそう強く思った。



以前はその唯一無二の響きを持った歌声そのものに魅力を感じていたけれど、その歌声に奥行きが生まれ、その空間に感情の引き出しが増えたように感じて そこに詰まった数々の想いが言葉になって歌声になって、という"声を用いた表現"として春空さんの歌声を好きになった。

基礎に忠実に丁寧に踊るその姿が好きだったけれど、その踊りに音が嵌る感覚を持ち始めて 音楽に合わせた舞の心地良さが素敵だと気付いてから、また春空さんの踊りを好きになった。

素敵だなと思うもの、思っていたものの理由が変わった。変わらずにあるものと、変わるものが共存していた。




9月、初めてのツアーでの挨拶で『これからは、音楽と表現の楽しさを伝えられる人になりたい。』と語っていた春空さん。
12月、続いてのツアー後の投稿で『ライヴをやる度に今まで頑張って生きててよかったと感じます。自分で感じるだけでなく皆さんにも感じて欲しい。僕達のパフォーマンスを浴びて生きててよかったと思える。そんなライヴをこれからも全員で作っていきます。』と綴った春空さん。

音楽と表現の楽しさから、それを享受した先に感じる喜びへと、伝えたいものにまた奥行きが生まれたことに驚いた。
またこの人は、表現を用いて成し遂げたいことが増えたのだと思うと、そんな人が伝えようとするものを出来る限り汲み取って掬い上げて取り込みたいと思った。


変化には、「終わり」がつきものだと思う。
具体的な何かまでは分からずとも、今と同じでは無い以上、そこには何かの終了 消失 破壊 再生があると思っている。

その何かの終わりを個人的に言い換えたのが、冒頭の『全く同じ器を見た事がない』というもの。

いつも目新しい何かを感じさせてくれるこの人が、ここに至るまでに何を終わらせたのか、その終わりの結果何が生まれたのか
今はそれを言い表せるほどの語彙を持ち合わせていないことが悔やまれるけれど、確かに在ることは感じられていると思う。



春空さんの「器」の話を聞く度に、思い出す言葉がある。
学生時代、工芸の授業で陶芸をした時に先生が言っていた、「最も良く出来たと思う作品を提出してください。時間に限りはありますが、もし完成の出来に何か思うことがあるのなら、それはいっそ割ってしまう方がいいです。その積み重ねによって、どう改良すれば良いのかという気付きが得られます。」という言葉。

当時は何を勿体ないことを…としか思っていなかったが、数年越しにその言葉の意図を理解できたと思う。
覚醒 革新 進歩 成長 改善 発展
そのポジティブな変化の過程で、私たちの目に見えないところで何かを割ったかもしれない。割って、一から作り直したり 金継ぎしたり 目指す形へと出来る限りの努力を尽くしてようやく得たものかもしれない。

知ったような顔をしたい訳では無いけれど、解りたいと思う。
この先の春空さんが歩んで行った道に破片が落ちていたら、少しだけ音を鳴らして踏んでみたいなと思う。
完成されるまでの過程にあったものを見つけて、気付いて、その存在を確かめたいと思う。



音楽の楽しさ、表現の楽しさ、生きててよかったという感情
そして、変わり続けるということの魅力を伝え教えてくれた春空さんを応援できていることの誇らしさに心満たされている。
私の人生に龍宮城が、齋木春空という存在との出会いがあってよかった。


その存在を享受して、消費していることの重みをしかと感じながら、私は紫の灯りを灯し続けたいと思う。







2024.03.24