【音楽劇 『秘密を持った少年たち』観劇記録】朝焼けを待てど、呼吸は絶え

音楽劇「秘密を持った少年たち」、完走おめでとうございます💐



デビューから間もない中で、龍宮城全員揃っての舞台出演。しかも、現在放送中の同タイトルドラマに連動したストーリーの今作。


龍宮城を応援している身としても、ドラマのいち視聴者としても、何より舞台観劇が好きな私としても、とても楽しませて頂いた舞台でした。


演劇ほぼ未経験のメンバーが大半とは思えないそのクオリティも、解釈の余地を良い形で残す演出や脚本も、本当に素敵なものでした…!


以下、私自身なりの解釈を織り交ぜた備忘録です。
(一部公式グッズパンフレットの内容を含みます)

  • セットと衣装について
  • 小道具の使い方
  • 対比
  • ドラマと音楽劇
  • 台詞と細々とした感想

『数年前、隣町のとある私立男子校で起きたある事件。
「知ってるか?隣町の高校で、生徒が全員消失したって話」
玲矢たち“404 not found”のメンバーはライブの前の楽屋で、そんな噂話で盛り上がっていた。
「あれは、学校に夜行が現れたらしい」
舞台は学園祭を間近に控えた男子校へ。
放課後、映画研究会と美術部員の生徒たちが居残り、忙しく準備をしていた。
目指すのは学園祭の学長賞。顔の広い学長に評価をされるとプロへの道も開ける。
映画研究会の部長であり監督を務める天音優人(演:西田至)と美術部長の黒瀬拓実(演:大東立樹)は幼馴染。
親友だった二人だが美術展で度々受賞をするような天才肌の黒瀬に、天音は密かにコンプレックスを抱いていた。
一年生で助監督の小鳥遊日向(演:米尾賢人)は「宣伝投稿するんで!」とメイキングを撮影しつつ、
野球部で助っ人に来てくれている従兄弟の白崎塁(演:伊藤圭吾)と明るく場を盛り上げる。
映画に出演するのは生徒会長の百瀬翔太郎(演:齋木春空)や、音響照明担当の水城聡士(演:佐藤海音)と同じクラスの柳楽大樹(演:冨田侑暉)。衣装ヘアメイク担当の乙女真尋(演:竹内黎)は俳優たちの身なりを整える。
天音が映画のストーリー説明をしていると、美術部の黒瀬と段智也(松本大輝)が通りがかる。
「ダサっ」と段が言うのを黒瀬は嗜める。
「そうだ。学祭で西館のホール申請してるよね。場所、変わって欲しいんだ」
という黒瀬に、天音はうまく言い返せない。
「良かったよ、天音の同好会で。他のサークルだったら言いづらかったから」
時間は19時過ぎ。
突然、ガラスが割れた音ともに、教室に我を失った夜行が飛び込んでくる。
阿鼻叫喚となる学園内。残っていた生徒や教師が次々と噛まれていく。
「兎に角、学校から脱出しよう。絶対に生き残る」
映画同好会と美術部は対立しながらも夜行について話し合い、助け合うことに。
しかし、気がつけば学園内中に夜行が徘徊し、簡単には脱出出来そうにない。
皆で知恵を振り絞り、協力して脱出を試みていくのだが・・・。』
音楽劇「秘密を持った少年たち」公式HP
「Story」より 2023.11.30
https://himitsusyonen-stage.com

↑あらすじを踏まえた上で綴ろうと思ったのですが、かなり大幅にストーリー変わってましたね笑
ちょっと嫌味な黒瀬も観てみたかった…!






セットと衣装について

階段付きの舞台セット

夜行に襲われるシーンの緊迫感、アクション感を引き立てる階段と段差の大きいフロアが印象的でした。
ステージを含め3階建てになっていましたが、この高低差がキャラクターの関係値や感情の変化を表す役割も担っていたように感じました。

例えば…
①映画撮影準備中の美術部との衝突シーン:才能溢れる注目株の黒瀬を抱えた美術部が3階、ホールを埋めるところからを目指す映画研究会が1階(水城先輩だけ2階にいたが)
→学園に於ける立ち位置の差が視覚的に表されているように感じました。
②百瀬くんから父親への電話のシーン:かけ始めは1階、感情が徐々に露わになるにつれ2階3階に昇りゆく様。
→百瀬くんが秘めていた感情が昇華されてゆくことを暗喩していたりするのかな、と。

霞ヶ丘の制服の着こなし方

制服ってある種の没個性要素(その学校に所属する者として全員に着用を求められる衣服、として見た時に)だと思うのですが、敢えて共通の物を身に纏いつつもそれの着こなしを変えることで、そのキャラクター性をより引き立たたせられているような気がして、そのビジュアルの設定の細かさがとても好きでした。

個人的な分類です↓
ノーマルな着こなし(ネクタイかっちりめ):百瀬
ノーマルな着こなし(ネクタイやや緩め):白崎、水城、天音、段
ネクタイ無し:小鳥遊、黒瀬
ブレザー袖捲り+ネクタイ緩め:柳楽
ゴーイングマイウェイネクタイアレンジ:乙女ちゃん

ファッションはその人が「人からどう見られたいか」を表すものだと思っているので、その視点でこの着こなしを見た時に、気性荒めの段くんが以外にもノーマルなことに驚きました。(パンフを読み、彼は黒瀬くんの支え役として己の成功を目論む計算高いところがあるということを知ったので、その"潜めている彼の姿"がある種の""目立たなさの表しだったり…とも思いました。全然キャラとんがってたけども笑)





小道具の使い方

この舞台を何度も観たい、と思えた要因の一つです。
「このスマホを貸してほしい!〇〇の為に!」「分かった!お前にこれを託すよ!」みたいな受け渡しされてゆく様を、わざと舞台上でのスポットライトから少し離れたところで展開しているところが良いなと思いました。あくまで、彼らが夜の学校内で迫り来る恐怖と、各々が抱える感情と向き合うシーンに、余計なものを含ませないという意志というか………"あった方"が分かりやすいはず、でも敢えて台詞には入れない。という作り手の美学のようなものを""勝手に""感じました。

数々の小道具の中でも、とりわけ目を奪われたのは、白崎くん(以下るいるい呼びさせて頂きますね)の真っ白なタオル。公式のパンフ掲載の情報では、
・小鳥遊からもらったもの
・小学生最後の試合で快勝したことから、験担ぎとして今も愛用
ということが明らかにされていました。
この、幼い頃から親しくしている小鳥遊から貰った「大切なもの」が、如何に「大切」なのかがわかるのが、るいるいが夜行に襲われた直後のシーン。
その傷跡を隠すかのように、焦ってポケットからそのタオルを出して首に巻いていた姿が印象的でした。
その後、他の生徒と合流した後も平静を装い続け、いよいよ「夜行としての本能」に飲み込まれてしまい百瀬くんを騙す様に化学室へ誘うまで、彼の両手はぎゅっとスポーツタオルを握りしめているんですよね。
このタオルを握りしめている間は、るいるいとして言葉を交わしたり、他の生徒と共に行動していられるのですが、タオルを落とした頃には動きも目つきも別人のようで………
「理性を保つため、白崎塁を見失わないため」の御守り或いは、「噛まれてしまったけど、きっと自分は大丈夫だ、夜行にはならない」という自分を安心させるための心の拠り所にしているような素振りに胸を締め付けられました。
(また、噛まれてから時間が経過してゆくごとにその傷跡の血痕が、真っ白なタオルに染み渡っていくその様子も、「徐々に白崎塁という人間が夜行の本能に蝕まれてゆく経過」を表している様で…😭)

野球部、義理人情、小鳥遊日向。
るいるいというキャラクターを語る上で欠かせない「要素」を繋ぐ、スポーツタオルという小道具。ただの隠蔽の為の道具では無い、「るいるい」が「るいるい」としてこの物語で生きた証を残す意味を持っている様な、そんな気がしました。



対比

白崎塁と黒瀬拓実

キャラクターに「名前」を与えたからには、その名前には何かしらの理由、説明、伏線が含まれているものだと思っています。
そして、わかりやすく色の対比が含まれたこのふたり。話を整理してみると、他にも対比が見えてきました。

白崎塁
・最初に夜行化する
・血の繋がった大切な存在(小鳥遊)がいる
・親戚(身内感)の関係は良好

黒瀬拓実
・(舞台上の物語では)最後まで夜行化しない
・血は繋がっていないが、幼い頃から共に育った大切な存在(天音)がいる
・里親に心を開いていない

るいるいは、あくまで「助っ人」として映画研究会と接点を持っており、黒瀬との関係が特別深いわけではない。けれど、この2人の対比を一気に協調したのが、音楽室での籠城のシーンでの黒瀬の一言「残されている方がラッキーなんて俺は思わない」。
初観劇の時は、野球部の仲間を守れなかった悔いから感情を爆発させていたるいるいに対し、両親を夜行によって奪われた黒瀬がかける言葉として認識しましたが、結末を知った上でこの言葉を聞くと、『最初に夜行化し、そして次なる夜行を生み出したるいるい』に『その連鎖の先に、唯一生き残った黒瀬』がかけた言葉、なんですよね……🥲

百瀬翔太郎と乙女真

この2人の関係性は物語の随所で描かれていますが、パンフレット内の情報にあった対比的な人物像がずっと引っ掛かっていました。

それは、「優秀な弟を持つがゆえに家庭内での居場所が無く、それでも一族に相応しい人間であろうと生きる」百瀬先輩と、「小さい頃から関係良好な姉がおり、その影響で己の好きなものへ触れる道を選んでいる」乙女くん、というもの。 

「少しでも学園の役に立ちたい」という想いに偽りは感じませんでしたが、それには「百瀬家の人間として」という枕詞ありきにどうしても感じてしまって……もし、「百瀬家」の翔太郎じゃなかったなら、その貢献意欲の形は今と違っていたのではないかなと思います。一方、乙女くんは「メイクとファッションが好き、だから衣装ヘアメイクを担当する」という因果関係がごく分かりやすいというか、自分の選択する行動の動機が自分の感情的なところに真っ直ぐに紐付いているように感じます。(百瀬先輩夜行化直後の、るいるいへの止まらない暴力。あれも、「大好きな百瀬先輩がこいつのせいで傷付けられた。だからありとあらゆる手を使ってでも報復する。」という動機がめちゃめちゃ分かりやすいなと)

彼らが取る選択・選んだ行動が『自分の真の意思・感情に基づくのか』が、彼らの対比になっているのかも、と思ってからは「そこが2人が惹かれ合う関係を築けた理由でもあるのかな」とも思いました。
百瀬先輩は、"自分の感情に正直で、その意思表示をも臆さない真っ直ぐな乙女くん"に感じるものはきっとあっただろうし、乙女くんは常に学園のため人のためと立ち振る舞う百瀬の姿に憧れた、ということだったので…。

柳楽大樹と水城聡士

個人的にめちゃめちゃ好きな2人です。キャラクター性がわかりやすく真逆だから、真逆ゆえの関係性の描写に納得性がある気がしてて。

聡明な水城先輩、享楽的な柳楽先輩。
最後の学園祭だからと誘いをかけた水城先輩と、引き受けた柳楽先輩。
夜行に追われ逃げ切るために避難梯子を落とせと言った水城先輩と、言われるがままに落とした柳楽先輩。
どれだけ追い込まれても感情的にならなかった水城先輩と、追い込まれてゆく末に精神的に疲弊してゆく柳楽先輩。
そして、夜行にならないかと誘う柳楽先輩と、夜行にさせられてしまった水城先輩。

この2人の関係性がわかりやすく切り取られるシーンは決して多くありませんが、その中でも「2人の日常的に築いてきた関係性ありき」のやり取りと、それ故の「裏切られた」という意識・「見捨ててしまった」という意識の芽生え…。正直、ここの2人の「夜行」によって侵された関係の破綻が1番しんどかったです。

※これは考え過ぎだとは思うのですが、「柳」って湿り気のあるような河川沿いなどの「水」辺を好むんですよね………考え過ぎだとは思うのですが………


ドラマと音楽劇

ドラマでは、主人公・玲矢がある日突然夜行になり…というストーリーから、「夜行側」の視点でその世界が語られ、その中からの感情が描写され…「夜行という存在」の悪性(言葉選びが悪いかもしれません)はあまり考えずに観ていた時間が多かったと思います。しかし、この舞台では「夜行」は学生たちの青春の日々を一晩で全て奪った存在として、完全な「悪」として表現されていました。『やられる前にやる』のが人間だと思っていた夜行(404)と、『やられた、からやり返した』の人間(黒瀬)。そのやる・やられる、の関係の「捉え方」の差は、正に夜行になった者と夜行に奪われた者の対比があるからこそ生まれた違いであり、どちらへも同情(ここも言葉選びが悪いかもしれませんが)できるようなストーリーをそれぞれ追っている身としては、何とも言葉にし難い感情になりました…。
また、ドラマと音楽劇で大きく違いを感じたのは、「吸血シーン」の描き方。ドラマでは、"エロティックサスペンス"を謳うだけあって吸血行為に扇情的な描写を色付けしていましたが、この舞台の吸血はほぼ「捕食」として描かれていて、「演出家の方が違うとこうも変わるものなのか」と驚いた記憶があります。ただ、この作品に関しては「そっち」の路線に合わせていなくて良かったと個人的には思います………。迫り来る恐怖、激しいアクションの末の吸血が色っぽいとびっくりしちゃいそうなので笑
ただ唯一、『バイオレンス』の中で百瀬先輩に噛まれた直後の乙女くんが上手階段の近くで蹲っていたシーンの時、俯く黎くんの喉元に流れる汗と見える微かな笑みがひどく色っぽくてびっくりしました………なんなら本編よりも……………🪦


台詞と細々とした感想

ここからは、特に印象に残った台詞・演出をピックしながら感想を綴っていきます。
(劇中の展開とは無関係な順番で取り上げています)

柳楽『んじゃ、諦めちゃう?』

冒頭、美術部(主に段くん)からの強烈なアピールに圧倒され空気の重くなった映画研究会の面々の中で何気なく放ったこの一言。最初は、きっとこの平然と"こういう言葉"が言えてしまう良くも悪くもラフなキャラクター性を描きたいのかな、と思っていたのですが、この台詞が思わぬ伏線になっていたことに気付いた時はビックリしました。
ようやく助けが来たと、安心しかけた矢先に夜行によって襲われた柳楽先輩。メンタルギリギリの状態が続く中、最前線で夜行と戦い続けてきた柳楽先輩は「もう疲れちゃった」と笑いながら己の結末を受け止め、そのまま夜行としての本能に蝕まれていきました。
そして、その本能のままに、かつての仲間を襲う時の「もう逃げなくていいんだよ」という一言を聞いた時、柳楽先輩はこの物語において「逃避」の道を指し示す存在だったことが分かりました。強力な敵(美術部/夜行)に対し、正面から挑まずに負けを受け入れること(大賞を獲る事を諦める/夜行になる)、劇の冒頭と終盤で、その選択肢を提示したこの演出はきっと意図的なものだったのではないかなと思います。
追い込まれてゆく中でも、己の力を惜しまず戦い続けた柳楽先輩、かっこよかったよ〜泣

天音『拓実の辛さが分かるのは、俺だけなんだから』

大凡のストーリーを把握した上での2回目の観劇でこの台詞を耳にした時に、思わずゾクッとしました。ずっと友達でいられる?という黒瀬の問い掛けに対して、当たり前だよと肯定した言葉に続く、その「理由」にあたるもの。天音と黒瀬を繋ぐものは、「親を夜行によって奪われたことによる苦しみそのもの」だと天音は思っていることが判ったシーンでした。
私にとって、"友情が続くか否かの判断軸"は「相手を尊敬し続けられること」や「自分にない視点から物事を語ってくれることの興味深さ」、或いは「物事に対する温度感の近さ」なのですが、天音にとってのそれは"絶望の共有"なのだなと思うと、天音優人という人間の心の深淵にある薄暗い何かに触れてしまったような気持ちになりました。(勿論"それだけ"では無いとは思うのですが…!)
そこから黒瀬は天音の勧め通り、感情を絵画の形へと昇華し才能が見つかってゆくようになりますが、それにより「絶望からの距離」が生まれ、「感情の具現の結果が評価されない」「辛さの中にまだいるのは自分だけ」という差にコンプレックスを抱き、次第に焦燥感を覚え始めたのでしょう…。パンフレットの天音の「人物ノート」に初めて目を通した時、その文章に改めて納得させられた気持ちになりました。

白崎『あんたの命は軽そうだな』

夜行に襲われた黒瀬の、その原因となった天音に対して怒り心頭に発した段が放った言葉「この世には、重い命と軽い命があるんだよ」に対してのこの台詞。これを言ったるいるい自身はその天音とは直接的な繋がりは無いものの、限度が過ぎる口撃をする段に対して真っ向にぶつかりに行ったこの果敢な台詞がとても好きでした。
(と同時に、自分が夜行に襲われて徐々に「白崎塁」としての自我を失いかけていた時、彼はこの言葉を聞いて何を感じたのかと思うと心が苦しくなるシーンでもありました)

乙女『嫌です』

みんなで立ち向かおう、と導きかけた百瀬先輩に「拒否」をしたシーン。それまでは事あるごとに「ねぇ、百瀬先輩」と顔を覗き込み、ニコニコとしていた乙女くんが、暴力なんて嫌だと言いながら、百瀬先輩に完全に背を向けて蹲る姿が印象的でした。大好きな人に共感できない、肯定できない その辛さゆえに、きっとそれを言った後しばらくは百瀬先輩の方を向けなかったのだろうなと思います。直前まで口に出すかを迷っていたかのように、少し身体をもじつかせながら言うその細かな演技も流石でした…。感情表現の細やかな使い分け方がお上手過ぎる……。

百瀬『殺してくれないか』

いくら演技とはいえ、自分の好きな人から希死念慮の言葉を聞く辛さは、観劇回数を重ねてもなお辛いものでした………。常に「人の役に立つため」が行動の軸だった百瀬先輩にとって、人を傷付けたい衝動に駆られる存在になってしまったことはどれほど絶望的なことだったのか、想像するだけでも胸が締め付けられます…。
決して叫ばず、ただただ切実に 搾り出したようにぽつりと呟くこの一言が今だに頭に焼きついて離れません🥲
余談ですが、春空さんってこの舞台では『岡部雅人』と『百瀬翔太郎』と『百瀬家の人間としてあるべき百瀬翔太郎』の3役を演じていたことに今更ながら気付きまして………。基本的には『岡部雅人』と『百瀬家の人間としてあるべき百瀬翔太郎』のどちらかなのですが、わずかなシーンで『百瀬翔太郎』に切り替わるんですよ。分かりやすいところで言うと父親への電話のシーンかと思うのですが、個人的に目を引いたのが、乙女くんとの会話の中で放った「似たもの同士だ」の台詞のシーン。23日マチネのカテコで、「雅人を演じる時は猫背気味に、百瀬を演じる時は姿勢を気を付けて」とお話ししていた春空さん。そうお話しされる通り、百瀬の所作は美しく、丁寧な印象が強くありました。(イヤイヤイヤ、と振る手の指先が揃っていること。優先順位〜…と言いながら階段を駆け降りる時の足元の静かさなど) けど、「似たもの同士だ」と言った百瀬先輩はお互いを何度か指差しニコニコと笑っていて、この「相手に指を差す」という行動に、百瀬先輩の"気の緩み"を感じたんですよね。「あるべき」を考え所作に気を使う先輩なら、相手を指す時はきっと一本指を相手に向けず、手を差し出す形で指し示していたんじゃないかな、と。どこまで意図的かは定かではありませんが、少なからず空気がより柔らかくなったこのシーンは、それまでの百瀬翔太郎とはまた別の人間がいたように感じました。(百瀬くん、来世はもっと自分らしく生きてね………)

水城『ラストはどうします?監督』

作中でもTOP3に入るかもしれないくらい好きな台詞です。合理的で、聡明で、常に冷静沈着な水城先輩。そんな彼が、天音の「映画だったら良かったのに、って」という言葉への返しとしてこの言葉を選んだところに、水城先輩の「人間らしさ」を感じ、とてつもなく愛おしい人だと思いました。
合理性というものは、時に人に対して冷徹さや無機質な印象を与えるものですが、水城聡士という人間の中にはそれが無いと言いますか……彼の「情」のところが決して大袈裟では無いものの"確かにあるもの"として描かれていることが個人的に好きでした。
天音の台本を手に取ったことで引退を先延ばしにするくらい、天音が紡ぐ物語に魅せられていた1人として、こんなにも素敵な返し方は無いなと思います。

小鳥遊『噛まれてたんです……でも気付けなかった』

この台詞を聞いた時、小鳥遊日向という男の子の印象がガラリと変わりました。それまでの小鳥遊は、自由奔放でかなりマイペースなキャラクターとして描かれており、ストーリーの中でも思わず笑ってしまうようなアクションを起こしてくれる存在だったと思います。
でも、彼は「気付けなかった」と言った。「噛まれてたことを言ってくれなかった」とは言わず、「こちらが気付いてあげられなかった」と表現したところに、この小鳥遊の人を思いやる優しさの部分に触れた気がして、その優しさがいっそうこのシーンを苦しく仕上げていたのかなと思いました。
大切な従兄弟である、るいるいの変化を汲み取ってあげるべきだった。その痛みを察してあげられなかった。そう「自分に非がある」と言葉にして涙を流せられる純粋な優しさが、きっと「人懐っこく、誰にでも分け隔てなく接することが出来る」小鳥遊の根元にあるように勝手に感じています。

黒瀬『あっ……いや…………』

めちゃめちゃ細かいところを抜き出しました。すみません。
この否定は、黒瀬がるいるいにかけた言葉「残されているのがラッキーだなんて、俺は思わない」に対し、明らかに怪訝そうな顔をしながらも「そう……っすね………」と返したるいるいへかけた言葉です。
きっとるいるいは、黒瀬がこの言葉に含んだ全てを理解しきれていない中でも取り敢えず肯定する姿勢を示そうとしたはずで、その肯定を聞いてふと思わぬ言葉をかけてしまったと我に帰った(と言うと言い過ぎかもしれませんが)黒瀬、という細やかな演技がお上手だなと思いながら観ていました。このシーンまでは、まだ黒瀬の過去はそこまで明らかにされておらず、「残された者として放った言葉」だということを微かに匂わせながらの演技であること そして、それをあえて声高に語る訳ではなく、初対面の後輩の前でつい"その部分"を漏らしてしまったという構図がよりいっそう黒瀬の中に渦巻くものに関心を向けさせたような気がしています。

段『見てるだけかよ!』

救助ヘリが来た、と思いきやマスコミだったことが判明するシーン。ようやく彼らにも救いが、と観客含め安堵しかけていた時に再び絶望に突き落とされるこの場面ですが、実は段智也という人間のスタンスへのブーメランになっていたりするのかな、と考えさせられた台詞でした。
尊敬する人の一言を契機に、黒瀬という圧倒的な才能と張り合う事をやめたという段くん。そして、彼をサポートするというポジションから新たな野望を見出した段くん。夢を新たに見つけたという点では、その自身の成功する道を拓くためには犠牲を恐れないという強さを持っているとも言えるかもしれませんが、元々の「張り合っていた」ことを自分の限界ではなく他人を理由に辞めたこと、そしてそれを「見守る」ようなところにある種逃げたとも言える彼は、"見ているだけ"とも言えてしまうのかもしれないな、と。
(個人的に、段くんの「出来る人間と競わなければいけない苦痛」が物凄く理解できるというか、想像するのに困らないような経験をしてきたと思っているので、作品の中での彼の立ち回りには共感を覚えるものがあり少し辛かったです。)



最後に

全10公演、配信期間を含めて約2週間。
本当にあっという間で、色んな感情を芽生えさせてくれたこの作品への愛着が日々強まっていくようでした。
今回は劇のパートのみを取り上げて書き綴らせて頂きましたが、『404 not found』のパフォーマンスもとても楽しくて……!普段と違うシチュエーションで龍宮城のライヴに触れるという貴重な機会であったことも忘れずにいたいなと思いました。
音楽劇、という名目こそ知った上での観劇だったものの、こんなにも「音楽」の力、豊かさ、表現の奥深さを演技とライヴ双方の場面で味わうことなんて早々無くて。何よりも、その両立ができたことこそ、龍宮城のみんなの努力あってこそだと思うと、改めて彼らのエンターテイメントの力というものは計りし得ないなと思いました。

この舞台を通して、新たな表現の形に挑んだ7人を心の底から誇らしく思います。
何よりも、挑んだ先の「結果」を、決して落胆させるものにしない。日々より良いものを、と更なる変化を生み出し続けたその貪欲さに感心しました。
ひとりひとりが、本当に眩しかったです。


次、彼らが挑むのはどんな場所で、どんなコンテンツで、どんな感動を与えてくれるのか。
いつも予想を超えてくる彼らが次に運んでくれる"嬉しい報せ"を待ち侘びつつ、パンフレットを読み返す日々を送ろうと思います。



朝焼けを待ち続けた少年たちと、
朝焼けを恐れる少年たちに、愛を込めて。



2023.11.30